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Netflixの台湾映画「陽光普照」感想

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Netflixの「陽光普照(ひとつの太陽)」

主人公の過ちと更生を静かに描いた作品でした。事件を起こした加害者側の家族を中心に物語が進むのですが、その家族それぞれが各自の意思を持ち、異なる形で支えようとする描写が上手いなと感じました。非常に重いテーマなのでこの記事は感想というより考察文章に近いです。

メインビジュアル画像引用元:A Sun《陽光普照》完美的24/7

Netflixの台湾映画「陽光普照」とは

傷害事件を起こして少年院に入ることになった次男を中心に家族の関係を描いていくストーリーです。2019年の第56回金馬奨では11部門でノミネートして最高作品賞と最高監督賞も授与された作品で、第93回アカデミー賞外国語映画部門への台湾代表作品としても選ばれました。

Wikiによると、この映画のアイデアは監督の友人が若い頃どのように他人の手を切断したのかを話していた際に思いつき、その後に火鍋を食べている最中に火鍋の中で茹でられる手のイメージが沸いてこの映画の制作に踏み切ったそうです。

Rotten Tomatoesでは批評家からは94%、一般ユーザーからも89%という絶大な評価を受けています。

「陽光普照」(英題:A Sun、邦題:ひとつの太陽)
リリース:2019年11月1日
制作会社:3 NG Film
配給会社:Applause Entertainment
制作国:台湾
言語:中国語
上映時間:155分

Netflixの台湾映画「陽光普照」あらすじ

陳一家の次男の建和は同級生を襲った傷害罪で少年院に入ることになる。そんな次男の存在を全否定する父と、なんとかしようとする母、医大志望の優しい兄、というのが建和の家族。
ただ、建和との子を身籠った小玉の訪問を境に一家にさざ波が立つ。
その1年半後に少年院を退所後、建和は日夜休まず働いて自立しようと奮闘するがかつての仲間に付きまとわれ社会復帰の邪魔をされている。
そんな息子の姿を見た父は次第に建和に向き合い始める。

Netflixの台湾映画「陽光普照」公式予告編

予告は時系列がバラバラですが、映画の雰囲気は終始こんな風に淡々としています。

Netflixの台湾映画「陽光普照(ひとつの太陽)」の感想

以下、ネタバレを含む感想です。

単純に「傷害事件を起こした少年の更生物語」と呼ぶにはあまりにも重いテーマでした。ある意味、父親と息子の和解の物語かもしれません。

主人公は建和という少年で、愛称は「阿和(アーフー)」です。
彼は細身で背が低く、猫背なので必要以上に卑屈に見えるんですよね。小学生の頃から周囲に馴染めなかった彼は中学に上がるとボクシングを始め、常に喧嘩をしているような問題児になっていました。

その4歳くらい年上の兄・建豪はすらりとした長身な上に、成績優秀・品行方正という文句のつけどころのない好青年です。医大に合格するために1浪して予備校に通っています。
建和が「子供の頃からみんな兄さんのことが大好きだった」と言うのも頷ける。

兄・建豪についての考察

映画の原題「陽光普照」を日本語読みすると「太陽の光は普(あまね)く照らす」。
意味は「太陽は誰でも平等に照らす」です。これは作中で建豪によって言及されていたことですね。

恐らく、建豪は幼い頃から周囲に期待される優等生タイプとして生きていたのだと思います。成績や外見が優れているだけでなく、不正や誤ったことは絶対にしないし、誰にでも思いやりを見せる理想的な人間です。

最初のうちは彼の人格から自然と出ていた行動であっても、周囲にそれを褒められ続けると次第に「他人が抱くイメージや期待に応えなくては」という強迫観念が生まれます。「太陽の光が強すぎる時はみんな日陰に逃げているのに、僕にだけその日陰が無い」つまり、「どんなに辛い時でも、僕だけは間違えることはできない(周囲の求める人物であらねばならない)」という結論に辿り着いた時、彼の中でぽかんとした真っ白な絶望が生まれたのではないでしょうか。
そして、その現実に耐え切れなくなり、人生で初めて「他人の期待に背く行為」として選んだのが自殺だった。

兄・建豪の心の闇の深さは作中では詳しくは描かれていません。
ただ、予備校の講堂で一人だけぽつんと座っているような錯覚を彼が抱いていたり、孤独な司馬光の話をしたり、昼食の量が少なかったりするシーンでは彼の中でほんの少しずつ何かがバランスを崩していっているような印象を受けました。

また、彼は生きることに執着が薄そうだったんです。一見物静かで穏やかなのですが、それは感情が伴っていないせいで、彼の人格と心が乖離しているように見えました。

医大入学を目指していたのも本当に彼自身の希望だったのか疑問です。
「成績優秀なら医学部に行く」という一般的なイメージに知らないうちに乗せられていたような状態だったのかもしれない。もしくは、彼の生来の優しさから本当に医者を目指していたのか。

というのも、彼は自分の部屋に沢山の野生動物の写真を貼っていたり、デートの行く先に選んだのも動物園だったからです。
これは私の深読みかもしれないのですが、子供の頃から「良い子」として周囲に四六時中期待されていた彼はそれらの過剰な期待に疲弊していたあまりに、動物に心の拠り所を見出していたのではないでしょうか。動物なら人間の言葉を話さないし、彼が優秀なのかどうかも知ることができないし興味すらない。
そのため、人間の前では被り続けないといけない仮面も、動物の前でなら脱ぐことができた。
この場合、「人間嫌い」というよりは「人間疲れ」と言えるかもしれない。

自殺する直前のデートで「自分に向けるべき優しさすら他人に向けている」ような状態だったという建豪は、本当に優しい人だったんですね。
個人的に、人がボロボロに傷ついている時の振舞い方には大きく分けて以下の2通りがあるんじゃないかと思います。「自分の苛立ちを他人に向ける」もしくは「他人には何事も無いかのように接し、自分自身を影で傷つける」です。
建豪は自分がどんなに苦しくても目の前に困っている人がいれば躊躇いもなく自分の傷を無視してその人を助けるような人だったんじゃないかな。

そのため、本当は建豪自身の精神的エネルギーがほぼ枯渇していたのに、それでも他人に対して思いやりを向け続け、自分自身のことは労わらなかった。
自殺する直前の彼は普通にシャワーを浴びて歯磨きをし、普段と何も変わらなかったんです。まるでフラッと散歩にでも出かけるような穏やかな状態で自分の命を絶つ人が抱える絶望の深さは私には想像すらできません。

兄・建豪と、予備校で知り合った彼女がデートする様子
画像引用元:【電影抓重點】金馬最佳影片《陽光普照》:「我們都曾受過傷,才能成為彼此的太陽」

建豪という自慢の息子を亡くした陳夫婦、特に父親の悲しみは大きかったと思います。
彼は建豪と建和という2人の息子がいながら他人にはずっと「息子は1人」「来年医大に入るんだ」と建豪のことしか言っていませんでした。喧嘩ばかりするろくでもない建和の存在を自分の中から抹消していたんです。
そのため、建和が少年院に入ることになった時もどうにかして建和を守りたい妻とは対照的に「あんな奴一生出てこなくていい」と吐き捨てたんだと思います。
そして、建和自身も父親から向けられる嫌悪感に気付いているので2人の間には確執があります。

建和があのように問題児になったのはなんとなく想像がつきます。
幼い頃から兄の建豪は両親や親族、教師や他の大人たちから常に褒められ続けていたものの、建和は兄のように優秀でもなく外見が良いわけでもないので、周囲が兄を褒めるほど建和は嫉妬を募らせ、でもそんな嫉妬すら表現できなくて卑屈になっていったのだと思います。
「お前も兄さんを見習え」と叱られるほど反抗心が沸くので建和はもっと不良に振舞ったんでしょうね。優秀な兄がひっくり返ってもできないような素行の悪いことばかりして「兄貴にできないことでも俺にはできるんだ」と歪んだ自己満足を抱くこともあったのでは、と思います。

でも、建豪はそんな弟に対しても他の人と変わらない優しさで接していたと思うので、そこでも建豪という人間の器の大きさを感じ、建和が自分という人間の矮小さを痛感させられる。だから嫌いで仕方なかったんでしょうね。
建和はあの家の中では常に兄の影でかすんでおり、存在感が薄かったのだと思います。だからこそ、その苛立ちを外での喧嘩で発散していたんじゃないのかな。
そんな彼に、見るからに純粋な彼女・小玉がいたのは驚いたけど。

兄の自殺を受けたためか、小玉の子供のことを知ったためか心を入れ替えた建和は素行も良くなり、3年の予定だった少年院も1年半で退所することになります。誰からも愛されていた兄は死んだのに誰からも嫌われて疎まれている自分は生きている、という後ろめたさを抱いた時もあったかもしれない。

小玉に関して感じたのは小玉の叔母の苦労です。姉夫婦が事故死したために姪の小玉を引き取り、自分の恋愛など置き去りにして一心不乱に育てていました。
彼女と建和の母は最初こそ最悪の出会い方だったものの、物語が進むにつれて互いに信頼感を築いていきます。二人とも”我が子”に手を焼いており、それでも彼らのことを見捨てずになんとか納得できる生き方をさせてあげようと必死なんです。

そんな風に関係性が変わっていく中で、建和の父だけは一人頑固なままでした。彼にとっては長男の建豪だけが全てだったのだと思います。

そして、建和の父以外にもう一人変わらなかったのが、あの日建和の同級生の腕を切り落とした張本人である菜頭(ツァイトウ)です。

少年院から出た後は仕事を掛け持ちして必死に働き社会復帰を目指していた建和にとっては菜頭は厄介な存在でした。
二度と関わりたくないのに菜頭に対して弱みがあるので強く出ることもできず、建和は毎回彼に従うことしかできません。

正直、私は菜頭のような人間が特に怖いです。外面は明るくて女性や子供に対しても優しいものの、その明るさの奥底にある獰猛さや残忍さが透けて見えるからです。
一瞬でも歯向かえば何の躊躇いもなく笑顔で押さえつけて脅して、相手に恐怖心を植え付けるタイプ。

建和から距離を置くよう、建和の父親が菜頭に求めたのは意外でした。彼は最後まで息子を全否定し続けるものだと思っていたので。

菜頭に金一封を差し出す建和の父親
画像引用元:劉若英看完「陽光普照」眼淚從心裡痛出來:後座力很強

事件後、建和の父親が賠償金の支払いを拒否したので結果的に菜頭の実家が差し押さえになり、菜頭はそのことも根に持っていました。それもあって退所後に建和に付きまとい、自分と違って真面目に生きようとしている建和の足を引っ張ったんでしょうね。
そして、そのせいで菜頭が生きている限り一生建和を苦しめるということにも建和の父親は気付いてしまったんだと思います。

そのため、あの晩に菜頭をこの世から消したのは純粋に「建和を助けるため」というよりは「自分が賠償金の支払いを拒否したせいで建和を苦しめることになった罪滅ぼし」もあったのでは、とも思います。

建和の父親は「長男の建豪にはもう二度と会えない」ということを受け入れた後にようやく「もう一人の息子」のことも自分の視界に入れるようになったように見えました。最愛の長男をあんなに悲しい形で失ったので、その後悔の念のあまり、今も生きている次男には親の自分ができることをしてやろう、と思ったのかもしれない。

その思いでやり遂げたことはある意味建和に対して初めて見せた「父親の愛」と言えるのかもしれません。断じてあの行為を肯定するわけではないのですが。

映画内の2人の兄弟についての考察

建和と建豪の違いは「どうしようもない状況に追い詰められても生きようとするかどうか」だと感じました。建和は少年院や少年院入所後にゴミ屑のような人生を過ごすことになっても生きることだけは辞めません。這いつくばってでも生きているんです。
反対に、兄の建豪は自分の限界に達した時、手の平から花びらを散らすように簡単に生きることを手放してしまった。

これは2人が持つ「日陰」の差だと思います。兄の建豪が「この世で一番公平なのは”太陽”」「太陽の光が強すぎる時はみんな日陰に逃げている」と言っていたように、建和には兄の建豪よりもはるかに大きな日陰があったんです。

つまり、「100点満点のテストで10点を取る」とか「宿題を忘れる」とか「同級生と喧嘩して親に叱られる」とか、そういった些細な「悪いこと」や「ダメなこと」を兄よりもはるかに多く積み重ねてきた建和は、例え何らかの失敗を犯してもその後もしぶとく生きることができるんです。
でも、子供の頃からそういった「悪いこと」をしてこなかった兄の建豪は「道を間違える」という経験をしたことがないので、自分の目の前に広がる道が建和とは比べようもないほど細く、選択肢が一つも無かった。

そのため、何か期待に背くようなことをして道を間違えたくても(=日陰に逃げたくても)その道に進むことが許されない。常に正しい道だけを生きるのは息苦しいはずです。
結果的に建豪はその息苦しさに窒息してしまったんだと思います。
2人はあまりにも対照的な兄弟でした。

英題の「A Sun」は”太陽”です。もしかして”一人の息子”という意味の「A Son」の音と掛けているんだろうかとも思いましたが、私の考えすぎかもしれません。
ただ、もしそうならこの場合の息子は建豪ではなく建和だと思います。どうしようもない時間を過ごして一旦は底辺に落ちたものの、なんとか這い上がって再び日の当たる場所で生き始めた”かけがえのない一人の息子”。

この映画のメッセージは、「人は時には日陰に逃げ込んでもいい、つまり、”失敗してもいい”」だと感じます。建和のように道を踏み外した後でも、生きている限り何度でもやり直せるからです。
建豪は「自殺」という後戻りのできない道を選んだために、その誤りを訂正してやり直すことすらできません。

建和と母の自転車二人乗りのシーンでは最後に2人を照らす太陽の光が映ります。
兄の建豪が「世界で最も公平なのは太陽」と言ったように、太陽の光は正しく生きる人にも一度誤った道を選んだ人にも平等に降り注ぐんです。

余談:Netflixの台湾作品「次の被害者」と「Tiger Tail」

これはNetflixの台湾ドラマ「誰是被害者(邦題:次の被害者)」を全話鑑賞後に思ったことなのですが、自殺は本当に取り返しのつかないことなんですよね。その時はそれしか方法が無いように思えても生きていれば出来たことは山ほどあったはずで、もしかしたらその後に幸せで満ち足りた時間も過ごせたかもしれないんです。
このドラマは警察の敏腕鑑識官が連続自殺事件の謎を解いていく話です。ドラマ内で主犯者に対し「自殺志願者には死ぬ勇気ではなく、生きるための勇気を与えるべきだった」と言い放つ記者の女性の言葉が印象的です。

この事件は巧妙な手口なので最後に全貌が明らかになった時は「なるほど」と思うのですが、個人的に主人公の鑑識官が好きになれなかったのでこのドラマ自体もあまり入り込めませんでした。
家庭を持つべきでない人間が家庭を持った結果妻や子供を悲しませ、その数年後か数十年後に後悔する中年男の話は嫌いです。

一番苦しんだのはその男に貴重な時間や人生を台無しにされた妻や子供なのに、なぜかそういうテーマの作品だと男の感情が中心なんですよね。観ている側からすると「助けを求められていた時は何もしてあげなかったのに何を今更」という冷ややかな気持ちになります。
これはNetflixの台湾映画「Tiger Tail」を観た時にも思いました。

この上記2つの作品に出てくる父親とは異なっていたのが今回の「陽光普照」の建和の父親だったと感じます。彼は途中で自分自身と現実を見つめ直し、どん底から人生をやり直そうともがく息子のために自分を擲つ選択をします。

終わりに

健和と健豪のどちらが理想的で正しい姿なのかは簡単に示せません。ただ、「底辺でも生きる」という苦しい選択をした健和の方が結果論ではよく頑張ったと言えるのかもしれない。

この映画は明るい気持ちで勧めることができないのですが、厳しい現実に直面したある一家の姿を通して考えることは多かったです。
大人向けですね。

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