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Netflixのオーストラリア映画「Penguin Bloom」感想

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Netflixの「Penguin Bloom(ペンギンが教えてくれたこと)」

鑑賞後に穏やかな充足感に包まれる映画です。普段、私は家族愛を描いたものや動物出演系作品はあまり観ないのですが、鑑賞中はそんなことも忘れるくらい素晴らしい作品でした。

メインビジュアル画像引用元:Is Movie ‘Penguin Bloom 2021’ streaming on Netflix?

「Penguin Bloom」とは

実話に基づいた作品で、事故で下半身不随になった女性がカササギの雛や家族の支えで生きる希望を取り戻していく様子を描いた作品です。実際の本人夫婦もエグゼクティブプロデューサーとしてこの映画の制作に関わっています。撮影はオーストラリアのNSW州で行われ、Bloom一家が暮らしていた家で撮られたそうです。

オーストラリアでは公開1週目の興行収入で1位を記録し(1,510,000AUD)、その後にNetflixが北米や南アフリカ、一部のアジア諸国などで配信を開始しました。「Rotten Tomatoes」では批評家からは67%、一般ユーザーからは71%の評価をされています。

「Penguin Bloom」(邦題:ペンギンが教えてくれたこと)
リリース:2021年1月21日
著作権元:Netflix
制作国:オーストラリア
言語:英語
上映時間:95分

「Penguin Bloom」のあらすじ

看護師のサムと写真家のキャメロン、彼らの3人の息子というBloom一家は仲が良く、その年はタイに家族旅行に行くことに。しかし、旅行中にサムは屋上の手摺の劣化が原因で転落し、奇跡的に一命を取り留めるも胸より下が不随になってしまう。

車椅子生活になったサムは鬱状態に陥り、家族の雰囲気も悪くなっていた。ある日、怪我を負ったカササギの雛を長男のノアが家につれてきたことで一家の生活は一変。心を閉ざしていたサムもカササギの”ペンギン”と過ごすうちに徐々に気持ちが柔らかくなっていく。

「Penguin Bloom」の公式予告編(字幕なし)

映画を観た後に予告編を見ると再び感極まりそうになりました。

「Penguin Bloom(ペンギンが教えてくれたこと)」の感想

以下、ネタバレを含む感想です。

主人公のサムは海をこよなく愛し、暇さえあれば海でサーフィンを楽しんでいるような女性でした。快活でよく笑い、元気盛りの3人の息子達とも一緒になって遊び、文字通り「Bloom一家を照らす」ような存在だったんです。
事故に遭う前のホームビデオに映る彼女は朗らかで、車椅子で塞ぎ込むサムとはまるで別人のようでした。

映画の序盤では下半身不随になったサムの無力感と絶望感がひしひしと伝わってくる描写が多く、胸が痛みます。
例えば、夜に子供達が牡蠣による嘔吐を起こした時、子供達は「パパ、来て!」と夫のキャメロンだけに助けを求めたんです。サムはどんなに子供達のことを心配していてもすぐに側に行ってあげられないので、ベッドの上から虚しく声をかけ続けることしかできません。
そこでサムが「以前なら子供達は真っ先に”ママ”の方を呼んだのに」「もう私はあの子達のママではないんだ」と悔しさと悲しみがないまぜになった涙を流すのは見ていて本当に辛かったです。

「今までできていたことがある日突然できなくなる」ということは、本人の自尊心を大きく揺るがすものだと思います。何をするにも他人の援助が必要になるので、何かをお願いせざるを得ない時に「自分は何もできない」という無力感を抱くだけでなく、その頼み事が些細なことであるほど「こんな簡単なことすらできない自分には価値がない」と自分の存在意義すら見失ってしまう。
これはサムのように事故で後天的に身体障害者になった人だけでなく、老化が進んで思ったように動けなくなる高齢者にも当てはまることなのでは、と思います。
「以前は自分でできていた」という記憶がある分、何かの機能を喪失した時は尚更堪えるからです。

サムは事故前は看護師として働いており、余暇ではサーフィンを乗りこなしていました。浜辺では家族でかけっこもしています。
ただ、下半身不随になったことでそれら全てを諦めざるを得なくなりました。今まで自分という人間を形成していたものが突然自分の手からこぼれ落ちただけでなく、サムの場合はどんなにリハビリをしても一生それらを取り戻すことはできません。

車椅子に座ったサムが自家製ハチミツの瓶をキッチンカウンターの縁へとゆっくり時間をかけて押しやってそのまま床に落として割るシーンでは、苛立ちによる破壊衝動というよりはむしろ「自分が何もできない」ということを敢えて自分自身で再確認し、「やっぱりね」と自嘲的に笑うような印象を受けました。

もしくはもう少し深読みすると、本人インタビューではこの当時自殺願望を抱くほど絶望していたそうなので、ハチミツの瓶を自分自身になぞらえていたのかもしれません。つまり、「瓶は落ちれば割れる」ということを分かった上で「割るために」押していた。この場合だと自分自身への間接的な自傷行為のように感じます。
瓶が粉々に割れるように、サム自身も自分を再起不能に壊したかったのかもしれない。

そして、このように鬱屈したサムの様子を目にして1番傷ついているのは長男のノアでした。
ノアはタイ旅行でサムを屋上に誘い、その結果サムが転落したので、「ママが転落したのは自分のせいだ」とあれから1年以上も自分を責め続けていたんです。

ノアはものすごく辛い立場だったでしょうね。
男3兄弟の長男である彼は10歳くらいなので、母親のサムに起きた事故の重大さや、そのせいでサムが鬱状態に陥っていること、あれからバラバラになった家族をまとめようと頑張る父親のキャメロンの気持ちも想像できてしまう。でもあの事故の原因を作ったのは自分なので、自分のせいで苦しむ母親サムの気持ちを考えるとノア自身の苦しい気持ちを表現することすら躊躇してしまう。そして下の弟2人は幼いのでノアの気持ちなんか分かりもしない。
そのため、ノアは自責の念を一人で抱えるしかなかったんです。

サム自身も事故後はノアを無意識に避けていました。
そして、そんな親の変化に子供が気付かないわけがないので、ノアはそのことにも孤独を感じていました。
サムが下の弟2人に向ける目とノアに向ける目の温度差を感じる度、ノアはきっと毎回心に傷を負っていたと思います。親から受ける愛情が兄弟間で異なる時、愛されない方の子供は自分の存在意義すら見失います。自分の周りの状況をきちんと理解できる聡い子ほど孤独が強くなる。

ノアがカササギの雛である「ペンギン」を一生懸命世話をしていたのは、ノア自身の傷ついた心を間接的に癒やしていた面もあったのではないかとも思います。
つまり、母親のサムから愛情を貰えない代わりに自分は「ペンギン」に対して愛情を与えてやることで、あたかも自分が愛されているかのような疑似体験を作り出していた。傷ついた人間がなぜかやたらと献身的に他人を助けたがる心理で、他人を助けているようで実は自分自身を癒やし、助けているんです。そうしないと自分が壊れてしまうから。

もしくは、ノアがそこまで追い詰められていなかったのなら「怪我した雛」の姿をサムに重ねたのかもしれません。下半身不随になったサムは治してあげられないから、せめて雛は治してあげたい、と思ったんじゃないでしょうか。幼いノアへの精神的負担を考えるとこっちの方であってほしいのですが、残念ながら個人的には前者の可能性の方が高いのでは、と感じました。

というのも、ノアは自分がサムに愛情を向けてもらえていないことに気付いているので、サムに対しての態度がいつもおずおずと顔色を伺うものだったからです。
例えば、サムの誕生日に父親や下の弟2人がサムのベッドに飛び込んだ時にノアは一人だけその様子を見ているだけでした。もし自分が弟達のようにサムに甘えた時、自分だけ拒絶されるかもしれないことが怖かったんじゃないでしょうか。

愛されていないことを分かっているものの、心の奥底では「愛されたい」という気持ちがあるので、その僅かな期待すら残酷に裏切られた後に「ママは僕のことだけ愛していない」という現実を突きつけられるくらいなら最初から愛情を求めない方がこれ以上傷つかずに済みます。

ノアのこのような姿は私には非常に辛いものでした。正直、この映画で私が1番感情移入したのはノアです。

でも安心してほしい。この映画は全員が幸せになるハッピーエンドなので。

あのような状態になった時、もちろん1番苦しいのはサムだと思います。ただ、それを側で支える身近な人もまた苦しいのだと痛感しました。この映画ではその役目は夫のキャメロンです。

キャメロンは本当に人としても親としても立派な人なので、サムの前ではサムに自信を取り戻してもらおうと優しく支え、息子達に対しては彼らがこれまでと変わらない日々を送れるように努めて明るく振舞います。
サムの事故後にBloom一家が辛うじて「家族」としての形を留められていたのは、キャメロンの努力によるものだと思います。

この映画では当事者以外にいわゆる「部外者」の目線も描かれていました。これはサムの母親であるジャンを通して理解することができます。
ジャンは悪気はないのですが、必要以上に「サムは身体障害者」という事実を強調します。ジャンは娘のサムが心配だからこそ何でもかんでもサムの感情を先回りしようとしていたのだと思うのですが、皮肉なことにジャンのその態度はサムの無力感を一層強めていました。

「大丈夫?」「そんなことできるの?」「何かあったらどうするの?」と心配される頻度があまりにも多いと、それは「あなたのことを信じていない」「あなたは何もできない」という言葉の裏返しになるんですよね。
サムがどんなに前向きになろうとしていても、この否定的な言葉のせいでサムの自尊心が削られていきます。

ただ、こういう言葉は一見すると「思いやりに満ちた優しい言葉」なので、「そんなこと言われる方が嫌だ」などと言おうものなら、世間は”思いやり”を拒んだ側に罪悪感を抱かせることが多いです。
これは、本来なら優先されるべきサム本人の気持ちではなく、ジャンの自己満足だけが中心に居座っており、配慮されるべきサムがジャンのエゴ(誤った善意)を勝手に押し付けられた挙げ句、それに感謝まで要求されるという理不尽な構図になっているだけなんですが。

この過剰な心配性であるジャンと対極にいるのが、カヤックの先生のガイです。彼女はサムが下半身不随であることを特別視することなく他の生徒と同じように接するんです。そのため、「カヤックに乗ったままひっくり返る」という訓練もサムに課します。

サムは最初はこの訓練に怯えて拒むのですがガイは折れません。そしてこの時、ガイがこの愛情ある厳しさを見せたことで結果的にサムの自信と自己肯定感の回復に大きく貢献しました。
退院後は外出すら億劫がっていたサムですが、いつしか週に3回のカヤックの練習を楽しむようになり、顔つきも生き生きしてきたんです。

「カヤックに乗っている人達の姿はみんな私と同じ」とサムが口にしていた時、車椅子で公共の場に出ることすらサムには辛いものだったことが想像できました。「周りの人達と異なる姿」という要素も彼女の孤独感を助長していたのだと思います。

それにしても、サムにカヤックを勧めたキャメロンは素晴らしい。確かにあれならサムは大好きな海で過ごせる上に、腕の力だけでも楽しむことができます。

映画のエンドロールに流れますが、実際のサム本人はその後パラカヤックにおいてオーストラリアで2度の優勝を飾り、2015年には世界大会のオーストラリア代表にもなっています。
また、「PENGUIN BLOOM (2021)」ページのインタビュー一覧によると、カヤックだけでなくパラサーフィンにおいてもオーストラリア国内で2019年と2020年に2度優勝したそうです。海を愛していた彼女が再び海に戻れたことを知り、嬉しかったです。
このインタビューページには制作秘話も載せられています。

最後に、この映画で大切な役目を果たしたカササギの雛、「ペンギン」について。模様が白黒で足が大きく、ヨタヨタと歩いていた姿から「ペンギン」と名付けられました。

ノアがペンギンを家に連れ帰ってきた時、とにかく現状だけでストレスが大きかったサムは飼うことに反対していました。「野生の鳥だからかわいそう」という彼女の言葉の裏には「面倒くさいものを持ち込まないで」という絶対的な拒絶があったように感じます。

ただ、ノア達が学校に行っている時にサムがペンギンの面倒を見ることになり、徐々にサムはペンギンに愛情を抱くようになっていきます。ペンギンもサムによく懐き、サムはそんなペンギンに癒やされていました。

あの時のサムには「自分が何かを与えてあげられる」対象が必要だったのではないかと思います。
「あれもできない、これもできない」と嫌というほど感じるだけの日々で、ペンギンの世話だけはできた。何か困ったことがあった時、息子達には「ママ助けて」と呼ばれなくても、ペンギンはサムのことを必要としてくれるし、車椅子に乗っているサムであっても屋内を歩き回るペンギンのことだけは助けてあげられる。
下半身不随になって自分の存在意義を見失っていたサムにとって、ペンギンの存在は何よりも勝るものだったんじゃないでしょうか。
自分が誰かに何かしてもらえた時よりも、何かをしてあげた時の方が「その人に必要とされている」と感じるから。

怪我が治り、飛べるようになったペンギンが大空を飛び回っているのを目にしたBloom一家が全員で大歓喜するシーンがとても良かったです。
最初、ペンギンはある意味サムと同じ状況にいたんです。本来なら飛べる鳥なのに、怪我をしたせいで飛ぶことができなくなっていた。
そのため、また飛べるようになったペンギンの姿は特にサムを勇気づけるものだったと思います。

ペンギンのおかげでサムが徐々に以前の明るさを取り戻していくにつれ、事故後バラバラだった家族の心も元に戻っていきました。Bloom一家が傷ついたペンギンを治していただけではなく、ペンギンもまたBloom一家の5人を救っていたんですね。

絶望と苛立ちのあまり今までの健康な自分の姿や記憶を消し去ろうとまでしていたサムでしたが、終盤、気持ちが前向きになり現状を受け入れられるようになったことで、事故後の1年間は自分自身だけでなく家族に対しても忌避感があったことを告白します。

「なぜ私がこんな姿に…」と絶望していた頃は、「あの時ノアに呼ばれて屋上に上がっていなければ」という後悔の念もあったと思います。でも自分の大事な息子なので怒りを向けたくもない。そんな葛藤を感じ続けていた日々は苦しかったはずです。

ただ、ペンギンと一緒に過ごすうちに「事故に遭うまでにできたこと」ではなく、「今後この体でもできるようになったこと」に目を向けられるようになり、その結果それまで自分を苦しめてきた負の感情が過去のものになったからこそ、今までの葛藤を認められたのだと思います。
そして、その時にようやくサムはノアを受け入れることができたんです。

ペンギンはエンドロールでは10羽の名前が流れるので、色々なシーンで何羽ものカササギが演じていたことが分かります。また、時には人工の鳥やCGも使われたそうです。
かわいいんですよ、ペンギン。

「Penguin Bloom」というタイトルを初めて見た時は”Bloom”を「花盛り」のような意味と思ったのですが、映画を見るとこれは名字と名前だったことが分かりました。
例えば、山田さんの家のペットの犬の名前が「ハナ」だった時に「山田ハナ」と呼ぶ感じです。
ペンギンはBloom一家の大切な一員だったんですね。

Guardinanの「Penguin Bloom: how a scruffy magpie saved a family」ページで、ペンギンとともに写る実際のBloom一家の写真を見ることができます。どれも愛情に溢れた優しい写真です。

Netflixによる公式動画

Penguin Bloom | Set Tour | Netflix

実際のBloom一家が映画の撮影場所を解説している動画です。大きく成長した3兄弟の姿や、ペンギンが自然に帰った後に飼い始めた別のカササギも見れます。

余談:オーストラリアのペンギンカップル

オーストラリアのニュース「ABCニュース」に投稿されていたペンギンの写真があまりにも素晴らしかったので紹介します。
ドイツ人の写真家Tobias Baumgaertnerがメルボルンで撮影したものです。

Widowed penguins hug in award-winning photo」によると、右の白い年上のメスは最近パートナーペンギンを亡くし、左にいる若いオスとよく一緒に過ごしているそうです。オスが自分よりも年上のメスをそっと支えているように見えます。
2羽がただ一緒に寄り添って何時間も夜の街の明かりを眺めているちょうどその時を写したのが、この穏やかで優しい写真です。

この写真はオーストラリアの雑誌のOcean Photography Awardsに輝いたそうです。

終わりに

私はペンギンが好きです。そのため、当初この映画を鑑賞しようと思ったきっかけは「Penguin Bloom」という映画名に惹かれたからという単純なものでした。

でも、映画で描かれていたのはそんな単純なものではなく、「5人と1羽」で構成されたある一家の再生物語でした。
壊すことより修復することの方がはるかに難しいにも関わらず、”ペンギン”という小さな1羽の存在が一家を照らし、サムには生きる自信と笑顔を、キャメロンには妻を、息子達には母を取り戻してあげることに繋がった。

観て良かった、と心から思える作品でした。

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