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Netflixの中国映画「后来的我们」感想

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鑑賞後の余韻が心地良い良い作品でした。かつての恋人同士が過去に向き合い、心の奥底の宝箱にそっと仕舞い込むような物語。若い男女のがむしゃらで全力な生き方だけでなく、中国の農村の風景や中国人が家族や同胞に向ける愛情の深さも描かれていました。

メインビジュアル画像引用元:「新片:后来的我们,什么都有了,却没有了“我们”

「后来的我们」とは

小説が原作の映画で、台湾の女優・劉若英による初監督作品です。中国で公開された後にNetflixが放映権を獲得し、2018年のNetflixロマンティック映画TOP10に第4位でランクインしたそうです。

撮影は中国で行われています。

「后来的我们」(繁体字原題:「後來的我們」、邦題:「僕らの先にある道」、英題:「Us and Them」)
リリース:2018年4月28日(中国)、2018年6月22日(全世界)、2018年8月2日(香港)
著作権元:Netflix
制作国:台湾
言語:中国語
上映時間:120分

「后来的我们」のあらすじ

旧正月の帰省中、電車の中で偶然出会った林見清(以下ジェンチン)と方小曉(以下シャオシャオ)。二人は遥江という小さな町の出身で、北京で成功するためにがむしゃらに生きている若者だった。

すぐに意気投合するも、「北京戸籍」が欲しいシャオシャオは金持ちの男と付き合い続けていたので二人は仲の良い友人関係を続けていた。次第にジェンチンとシャオシャオはかけがえのない関係になり、いつしか恋人同士に。
ただ、永遠に思えた関係も続かず、ある日終わってしまう。あれから10年が経って再会した二人はもう戻れない過去を振り返り始める。

「后来的我们」公式予告編(簡体字字幕)

時系列に沿ったこの予告編の雰囲気が、映画の雰囲気そのものです。すごく良い予告。

「后来的我们(僕らの先にある道)」の感想

以下、ネタバレを含む感想です。

まずジェンチン。彼は北京の大学生で、ゲーム制作業界で成功する夢を見ています。父親は小さな料理屋を営んでおり、男手一つでジェンチンを育ててきました。
ジェンチンは素朴でまっすぐな青年なんですよ。シャオシャオに対しては一目惚れに近い感情を抱いていたんじゃないかと思います。

そしてシャオシャオ。彼女は高卒で、北京でバイトを掛け持ちしながら生きています。明るくてよく笑って社交的なので初対面の人々ともすぐに打ち解けます。
また、多くの女性とは異なり飲酒やトランプもガンガンこなす、細かいことにはこだわらない自由な性格の持ち主です。父親は他界し、母親は外国で働いているので旧正月も一人で過ごしていました。

中国における戸籍の位置づけ

ここで中国文化を感じたのが「戸籍」の重さです。
日本での戸籍は基本的に家族関係の記録に過ぎないので、皇居だろうが東京タワーだろうが自分の好きな場所を「本籍地」とすることさえ簡単です。ただ、中国では戸籍は「都市戸籍」「農村戸籍」の2種類があり、基本的に変更ができません。

北京や上海のような大都会の人々だけが持てる「都市戸籍」と、田舎の人々が持つ「農村戸籍」は社会福祉制度や大学入学・就職条件、マンション購入などのあらゆる面で待遇が雲泥の差だそうです。そのため、「中国人女性とのデートで、「中華食べに行こうよ」がNGな理由」によると中国人女性が結婚相手に求める条件として、一般的な要素である学歴や経済力に加えて「どこの戸籍か」が重視されるそうです。

都市と農村では生まれた時点で人生の難易度が異なるんですね。
戸籍については「中国語スクリプト」というサイトの「中国の「都市・農村」の格差問題と戸籍制度」ページが詳しいです。この記事を読んだ時、都市と農村では学校で教える教科すら異なることに驚きました。意図的に階級を作り出しているように感じます。

また、戸籍は中国の「蟻族」を生み出す原因にもなっていました。
「蟻族」とは、高学歴であるものの就職先が見つからず、かと言ってそんな状態で地元の田舎に戻るわけにもいかないので都会の狭い集団部屋などで数人で集まって暮らしている若者達のことです。太田出版サイトの「中国で社会問題化 大卒で低賃金労働に甘んじる「蟻族」とは?」で概要が分かります。

映画の中のシャオシャオは遥江という田舎町から出るために「北京戸籍の人と結婚する」と決めて、結婚によって人生の転換を図ろうとしています。そのため、ジェンチェンと知り合ってからも金持ちの男とデートを重ねていました。
それを毎回聞かされるジェンチェンは複雑な心境だったと思います。

ジェンチェンの言葉で印象的なのは「そいつは君のために天に登って月を取ってくれるのか」です。中国で「誰かのために尽くす」という意味だそうです。ジェンチェンは自分の好きな女の子であるシャオシャオの幸せを願っていたので、彼女が幸せかどうかをずっと案じていました。
ただ、このシャオシャオ、かなり男を見る目が無いのでいつも恋愛で傷ついていました。条件で相手を選んでいたので、性格が二の次になっていたのかもしれない。

ただ、そんな中でもジェンチェンとの仲は続いており、ある日シャオシャオからジェンチェンに向き合い2人は付き合うようになります。この期間の2人はお金が無いなりに些細なことを喜び合い、支え合い、幸せいっぱいです。
そのため、徐々に何かが崩れていくシーンは見ていて一層辛かったです。

ジェンチェンはシャオシャオを幸せにしたかった。そのため、シャオシャオが望む男になりたいと心の奥底で願っていたんでしょうね。ただ、現実のジェンチェンは職も無いので金も無く、そして北京戸籍も持っていません。
「こんな俺では駄目だ」とばかりにジェンチェンは焦り、苛立ち始めるのですがシャオシャオは既にこの時自分の中の結婚条件を改めていたと思うんです。つまり、シャオシャオにとっては金と戸籍を備えていても好きではない男と、金も戸籍も無いけど一緒に居て安心できる男なら後者であるジェンチェンの方が大事になっていた。
でもジェンチェンはそれに気付かなかったんです。

男が自暴自棄になる時ってこっちからしたら意味不明な理由の方が多いんですが、まあ彼らなりに「彼女の前ではかっこいい男でいたい」というプライドがあるんでしょうね。中国人の「面子」文化も関係あるかもしれません。そのプライドにしがみつくあまりに当の彼女の気持ちが離れていったら本末転倒だけど。

ジェンチェンはその本末転倒を起こしてしまったんです。
金を持っていると見栄を張るために友人達にも嘘をつき、コールセンターの仕事でもイライラし、その苛立ちを見ず知らずの人にまで向けていました。
この時のジェンチェンには「お前はダメな奴だ」「シャオシャオにふさわしくない」「負け組め」のような自責の言葉が常につきまとっていたんじゃないかと思います。負のスパイラルですね。

ジェンチェンが他人にいきなり暴力を振るった時のシャオシャオは肝が座ってました。
暴れ狂うジェンチェンを横目に狼狽えることなく酒を一気に流し込むとその瓶を叩き割り、「イライラしてんなら人に当たらず私に当たれば?!」ジェンチェンに平手打ちを食らわせるんです。シャオシャオのこういうところ好きです。

自分の好きな男なら、自分以外の周りの人々も彼を好きでいてほしいと思う気持ちは分かります。
その彼がみっともないことをして他人に迷惑をかけた結果嫌われる姿を見たくないので、シャオシャオはこの時、ジェンチェンの負の感情を自分一人だけで受け止め、他人に気付かれないようひっそりと解消してあげたいと思ったのかもしれません。基本的に男は他人の前で自分の無様な姿を晒すとプライドがズタボロになるからです。「彼女の前ではかっこいい俺でありたい」と思っている男は余計に。
ジェンチェンが一人で勝手に自暴自棄になるよりも、シャオシャオに自分の悩みや不安を吐き出してくれた方がシャオシャオは嬉しかったと思います。

でもジェンチェンのプライドは暴走しているので「自分の弱みなんか絶対に見せられない」という強迫観念に駆られている。こんな状態の人は常に毛を逆立ててなりふり構わず周囲を威嚇しているので、一緒にいる相手は次第に疲弊していくと思います。
ある日、シャオシャオを無視してゲームに明け暮れるジェンチェンを前にして「もう無理だ、これ以上この人に優しくできない」と思ったシャオシャオが「もう行くね」とひっそり部屋を出ていくんですが、女性がこのレベルに達するとほぼ修復不可能。
気持ちが冷めきっているので、何を言っても何をしても彼女には届きません。

でもシャオシャオはこの時、ジェンチェンの行動次第では彼を許す気でいたんでしょうね。
というのも、「あの時一緒に電車に乗ってくれていたら一生手放さなかった」と口にしていたからです。きっとあの電車にジェンチェンが飛び乗り、シャオシャオを失いかけた恐怖を実感して強く抱き締めたりしていれば2人の未来は異なっていたんだと思います。

でもジェンチェンには今の駄目な自分と向き合う覚悟が無かったので、「シャオシャオを繋ぎ止める」ということを躊躇してしまった。
「こんなクズみたいな俺から離れた方が彼女は幸せだろう」という自己正当化する気持ちの他に、「シャオシャオと別れれば俺は今みたいに分不相応に頑張らなくてよくなる」という安堵の感情もあった気がします。
そして、むしろその2番目の気持ちを一瞬でも抱いてしまったからこそ、ジェンチェンは自らシャオシャオを手放したんじゃないかな。シャオシャオと付き合うことが自分の負担になっていたと気付いてしまった瞬間、「ああ、もういいや」と糸がぷつりと切れたようになるのも分かります。
シャオシャオはそんな弱いジェンチェンを丸ごと愛していたのに、ジェンチェンにはそれが伝わらなかった。
その結果、最高の相性だった2人が破局を迎えたんです。

シャオシャオを失った後のジェンチェンは喪失感を埋めるために、バイトをしながら長年の夢であったゲーム制作に必死に打ち込んでいきます。このゲームはイアンとケリーという男女が再会するまでを描いたゲームで、シャオシャオと付き合っている時にジェンチェンが思いついた内容です。

次第にそのゲームは大人気になり、ジェンチェンは北京に家を買えるくらい裕福になります。ただ、何年経っても頭からシャオシャオが離れない。誰もが羨むような一等地に家を買おうとしているのに、そんな彼が思わず目で追ってしまうのはシャオシャオが気に入っていたボロボロな椅子。

職も地位も金も、そして恐らく北京戸籍も手にしたジェンチェンは「ようやくシャオシャオにとって魅力的な男になれた」と自信が湧いたのか、旧正月にシャオシャオを実家の帰省に誘います。恐らく「こんな俺を見ればシャオシャオはきっと俺への気持ちを戻してくれる、また幸せに過ごせる」という期待があったんでしょうね。

でも、それは失敗に終わります。
ジェンチェンは以前の穏やかさは鳴りを潜めて傲慢になり、年老いた父親に辛く当たるようになっていました。そのくせ「結婚して親と同居する=いい男」というイメージに拘り、自分の父親とシャオシャオに「北京の家で一緒に住もう」と提案します。
そこには「ジェンチェンの父親は自分の料理屋で静かに余生を過ごしたいはず」「シャオシャオは別の人生を生きているはず」という考え、すなわち2人への愛情と思いやりが欠落しているんです。

そんな空っぽのプレゼントを渡されても(実際には”押し付けられても”)虚しいだけですし、その虚しさに微塵も気付かずに自己満足感だけを優先させようとしているジェンチェンに対して好意が戻るわけがありません。
シャオシャオが好きだったのは、目立ったところはないけど穏やかで優しくて、ちょっとふざけたことでも一緒に楽しんでくれるジェンチェンだったのに、もはやあの頃のジェンチェンはいなくなっていたんです。

映画内で感じた「面子」

上記以外でも、中国人にとって何よりも大事な「面子」が随所随所で描かれていました。

ある時、ジェンチェンは海賊版AVを販売していたので春節を刑務所で過ごすことになり、その年は帰省できませんでした。でもその時にシャオシャオはジェンチェンの実家に顔を出し「彼は仕事が忙しいから」と説明したり「彼から皆さんへの贈り物を預かってきました」と一人ずつにプレゼントを手渡したりしてジェンチェンの面子を保ってあげていたんです。
刑務所にいるジェンチェンがプレゼントを用意できたとは思えないので、シャオシャオ自身が自分の僅かな給料から頑張って捻出したんじゃないかと想像しました。

ジェンチェンが友人達の前で金持ちのように振る舞おうとしたのも面子のせいでしょうね。そして「大企業に勤めている」というジェンチェンの嘘にも、彼に恥をかかせないよう笑顔でその場で支えるシャオシャオ。
シャオシャオは自由奔放・天衣無縫に見えて聡い女性ですよね。
面子については「中国のメンツ文化」で彼らの心理が考察されており「なるほどなあ」と思いました。

映画内で感じた「身内」への優しさ

「中国人は身内や友人にはとことん親切であるものの、見知らぬ他人には冷淡」と聞いたことがあります。そのため、一度「この人は仲間」と受け入れられるとまるで家族のように扱われるそうです。

映画の中ではシャオシャオがジェンチェンの実家で年越しをしている時にそれを感じました。「また来年もおいでおいで」とジェンチェンの親戚達がほくほく顔で喜んでいた時、彼らと共に円卓に座るシャオシャオは本当にジェンチェンの親戚の一人のようですらありました。

また、ジェンチェンの父はシャオシャオをとても気に入っていたので、実の娘のようにシャオシャオに良くしてくれます。ジェンチェンの結婚相手もシャオシャオだろうと期待していました。

映画で重要になるのはジェンチェンが作ったゲームの最大の山場である「イアンとケリーが再会すると世界に色が戻った」という設定です。
10年後に再開したジェンチェンとシャオシャオの様子が描かれる時にモノクロなのはこれが理由だったんですね。このことに気付いた時、良い伏線だなあと思いました。

ジェンチェンは妻子を持ち、シャオシャオは新たな恋愛を始めたりと互いに別々の人生を歩み始めた後に再会して二人で過去を振り返ってようやく、かつての日々に別れを告げられたんです。
最後に互いに「再見(さよなら)」と言い合うのですが、文字とは異なって2人はもう二度と会うことはないと分かります。
楽しかった二人の記憶にも「再見」と言ったんでしょうね。

過去を単純に美化するのではなく、あの2人のようにあの頃無視していた痛みや愚かさや若さを後悔し、それでももう決して元に戻れないという現実を受け入れれば今後ズルズルと未練を引きずることもないと思います。
あの美しかった過去を美しかったまま記憶に残すには、過去と決別するしかないんですね。

まとめ

このポスターは映画の雰囲気をよく表しているかもしれない
画像引用元:‘Us and Them’ brings young love, dreams to the movies

とても良い作品でした。
こういう作品は、10代の頃に観ても圧倒的に人生経験が不足しているので物語の内容を理解できなかったと思います。
実際に自分が色々な失敗や後悔を経験したおかげで理解できるようになることもあるので、もっと年を重ねればまた違った見方ができるのかもしれません。

原題の「后来的我们」は直訳なら「その後の僕達」なので、邦題では例のごとく薄っぺらくなっている気がします。作品の雰囲気を壊すくらいなら原題のまま使ってほしいと毎回のように思うんですが、この作品では特にそれが残念に感じました。
英題の「Us and Them」は、映画では2つの時間軸が平行して描かれていることを踏まえた「再開した”私達”と、過去の”私達(彼ら)”」という意味なんでしょうか。もしくは、「あの頃一緒だった”私達”は過去の記憶の中の”2人(彼ら)”になってしまった」という意味合いにもとれます。

終わりに

中国語は全て漢字なので、文字一つに込められた言葉の意味が奥深いと感じます。そのため、中国由来の音読みと日本で独自に進化させた訓読みも含めて、私は漢字文化の歴史と豊かさを愛しています。

例え中国語が理解できなくても、漢字を見ればそこに書かれている感情や意味がなんとなくでも分かるというのはすごいことだと思うんです。
英語やその他の様々な言語と比べても、個人的には中国語ほど共感できる言語は無いように感じています。

好きな作品がまた一つ増えて良かった。

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