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外国で「日本人」として過ごしている時に思ったこと

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おはじき

現在アルメニア生活も2ヶ月目になろうとしています。それまではブルガリアに3ヶ月間、セルビアに3週間いました。今までカナダ、フィンランド、台湾、タイに渡航したことがあるものの、こんなに長く外国で過ごすのは初めての経験です。
そういった国で出会う初対面の人には国籍を訊ねられることが多いので「日本だよ」と答えるのですが、その度自分は日本人ということを否が応でも実感します。

これに関して思ったことをつらつらと。
念のため最初に断っておくと、この記事の内容は日本礼賛を繰り広げるようなものではありません。

日本への古いイメージ

ブルガリアでもアルメニアでもそうなのですが、旧ソ連圏諸国の人々が日本に対して抱く印象は「技術が発達した素晴らしい先進国」という数十年前のイメージのまま止まっているように感じます。例えば、彼らが知っている日本のものは「トヨタ、ニッサン」という今では斜陽気味な車メーカーです。
日本に一度も訪れたこともなければ今後も恐らくその機会も無さそうな人々が知る”日本”の姿は映画などのメディアで目にした作り物や噂話の域を出ていないのでは、と何度も感じました。

例えるなら、「アフリカ」と聞いた日本人がサバンナ平原を思い浮かべるような感じかもしれません。
実際のアフリカには高層ビルが立ち並んでいるような国もあるのに、多くの日本人にとってはいまだにアフリカ諸国へのイメージがアップデートされていない状態のような。

だからこそ、彼らが手放しで向けてくる「日本は良い国だ」という賞賛に対して私は毎回居心地の悪さを覚えます。
でも虚像の日本しか知らない彼らに日本社会の零落ぶりや陰湿さを理解してもらえるとは思えないし、また、日本よりもはるかにGDPが低い国でギリギリの生活を送っている彼らに「日本もつらいよ」などと言うのは憚られるので、毎回曖昧に微笑んでやり過ごしてきました。

「日本」と「中国」への印象の落差

さらに、そういった時に感じる別の居心地の悪さの理由は彼らが平気で中国への嫌悪感を顕わにするからでもあります。
私は生粋の中国人や台湾人からも「中国人かと思った」と勘違いされるくらい中国系の顔です。ただ、それを抜きにしてもヨーロッパ圏の人々はアジア人の区別がつかないので初対面ではまず私の国籍を訊ねてきます。そしてその時に私が「日本人」と答えると彼らは一気に顔を明るくして日本を褒め始めるんです。
反対に、私のことを中国人と決めつけてきた人々は概して横柄で不機嫌そうな態度を見せてきます。

例えば、アルメニアである土産市を歩いている時、商品を売りつけるために声をかけてきた人の「(あなたが分かるのは)英語?ロシア語?」という言葉を無視すると「中国人かよ」と吐き捨てられたり、仲良くなったフィリピン人の女性と歩いている時も「あなた達中国人?何?アルメニアに侵略しに来たの?中国は世界中を侵略してるから!」と言われたこともあります。
ブルガリアのある穏やかなタクシー運転手も「暮らすなら日本が一番だよ。あとシンガポール。中国はまあ別に」と露骨に中国を見下していました。

海外でこういう場面に遭遇した時に「やっぱり日本はすごい!」「日本人は愛されている!」などと感激できるようなおめでたい人間ではない私は、毎回毎回本当に嫌な気持ちになってきました。彼らは国籍によって差別することに何の躊躇いもないんです。そのような人に日本を褒められて嬉しいわけがない。
もし私が「中国人だよ」と答えていたらどうなったのか、とよく思います。

勿論、中国政府の行いで人道的に許せないものは多々あります。ただ、私が個人的に中国文化に共鳴している部分もあるせいかもしれませんが、私自身は日本と同じ東アジア文化を共有する中国や中国の人々のことを全否定する気にはなれません。
ブルガリア、セルビア、アルメニアというアジア人がほぼ全くいない国々で一人で過ごしてきた私が最も人との繋がりを感じたのは現地の中華料理屋にいた中国人、台湾人の人々だったことも理由の一つかもしれない。

私自身はアジア以外の国にいると、身長や容貌、食の嗜好から気遣いといった何から何まで自分がアジア人であることを痛感します。やはり西洋人とは育った社会背景が明らかに違う。
そして、私の場合は今回「東アジア」もしくは「東南アジア」の文化の方が居心地が良いと感じることに気付きました(南アジアのインドや中央アジアの国々はまた少し異なる)。

食事でいうと日本食が恋しいと思ったことは一度も無いものの、他のアジア圏の料理は私を惹きつけてやみません。パンやパスタでは微塵も満たせない食欲も、アジア圏の米や麺料理でなら心から満たされます。

特定の社会的集団の人々への偏見が生まれやすい環境

同じ東アジア人でも日本人と中国人とでここまで人々の印象が変わるのはなぜかと考えた時に、自分の属する社会的集団とは異なる人々への負の感情が生まれる理由には少なくとも「個人」が原因のものと「集団」が原因のものがあるのでは、と思いました。

1.個人の行動による特定のイメージの醸成

まず一つ目の「個人」が原因のものについて。
私が一人であちこち滞在しているうちに思ったのは「海外でとる私の行動一つ一つが現地の人々にとっての”日本人”のイメージの形成に寄与し得る」ということでした。この傾向は外国人があまり訪れないような小さな村や田舎町でより一層強くなる気がします。
以下、日本人を例に話を進めます。

というのも、そういう場所ではそもそも外国人観光客は当然のこと、日本人なんか滅多に目にしないので彼らにとっての日本人のサンプル数は限りなく少ないためです。そのせいで、もしある一人の日本人が彼らの調和を乱すような行動をとればたちまち「日本人は嫌な奴だ」という印象を植え付けることになり得ます。
反対に、日常生活で色々な日本人を目にしていれば嫌な人だけでなく穏やかな人や良い人もいる、ということを実感できるので嫌悪感の醸成がそこまで急激に進まないはずです。

以前、「外国人と接する機会の多い都会の人々ほど外国人への偏見が少ない」という調査記事を読んだことがあります。これは上記のような条件が原因なのでは、と私は考えます。
田舎になるほど人間関係は狭く濃密になっていくので部外者(ここでは外国人)には排他的になりがちです。そして、一般的にそういう場所の人々は一度もその地域から出たことのない人も多いので外の世界をあまり知りません。
そのせいで外国人に対する誤った固定観念や偏見が根強く残ることに繋がるのだと思います。

日本人が中国人観光客の態度を目にして中国人全体に嫌悪感を強めるものも、個人の行動が原因ですよね。
また、日本人男性達がタイで酷い女性蔑視行動を繰り広げていることに対しタイと日本の有志がChange.comで署名活動「RespectThaiWomenタイ人女性へのセクハラをやめてください。」を立ち上げたことがありますが、あれらも個人個人の行動が結果的に「日本人男性」という属性のイメージを最悪なものにさせた一例だと思います(そしてこういうことが起きた場合の日本人男性は毎回「Not all men」と女性に向かって叫び始めるのがお決まり)。
→それに関するニュース:「セクハラ動画に愛人勧誘…相次ぐ日本人男性によるタイ人女性軽視問題に署名運動がスタート
私がフィンランドに行った時も、明らかに風俗と分かる東南アジア系の女性一人と数人の中年日本人男性達がサウナに来ていたのを目にした時は不快な気持ちになりました。その女性が不安そうだったから尚更。

2.集団による特定のイメージの醸成

次に「集団」が原因のものについて。
ある国の人々への嫌悪感情が生まれる原因は個人の旅行者によるものだけではないと思います。その国の政府がとる行動、その国で起きたニュース、その国の不安定な社会情勢、その国の人々が信仰している宗教の宗派…といった個人ではどうしようもない要素も、それが良いものであれ悪いものであれその国の人々に対するレッテルになり得ます。

例えば、「イスラム教」を信仰する難民の人々がここまで世界中で差別対象になったのは近年の過激派イスラム教集団の影響が強いと思うんです。実際には難民の彼ら自身も祖国でその過激派集団に苦しめられていた被害者なのに、「イスラム教」という言葉から派生したイメージのせいで彼らすら白い目で見られてしまっています。
そして、こういう要素は社会的な問題なので一度芽生えた負の感情を払拭するのが難しい。理性で自分を律することができる人ばかりとは限りません。平気で自分の嫌悪感情を相手にぶつける人もいるのでヘイトクライムが後を絶たない。

また、外国人に対する偏狭な価値観が生まれる条件は日本人が「外国」に対して抱くイメージの場合にも当てはまると思います。

私の個人的な考えからすると、「日本は良い国」「日本人は優しくて礼儀正しい」「海外は治安が悪い」「日本は四季があってすごい」と言う人ほど外国をよく知らない人と感じます。日本から出たことがない人がそのテンプレを声高に主張し、その結果まだ海外に行ったことがない若い世代や幼い子供までもが何も考えずにそのテンプレを信じている様子を見ると暗澹たる気持ちになりますね。
まるで鎖国した国のプロパガンダのよう。

海外旅行や留学を経験する日本人の若者が減少傾向にあるのは彼らの収入が低くて海外に行けるだけの経済的余裕が無いという理由もあるかもしれませんが、個人的には日本社会への安全神話が信仰され過ぎている結果だと思います。
外国を知らないからこそ「日本は良い国」というメディアの軽薄な情報を信じ続け、そのせいで外国への関心が沸かなくなり、偏った認識が更新されない状態です。
これが最終的に行き着く先は他の国々の常識から取り残された、時代遅れの田舎社会のようなガラパゴス国家だと思います。これは既に日本社会のあちこちで感じていることですが。

また、海外に行ったことのない日本人(特に男性)ほど「日本人男性は優しい」と言うのはなぜなんでしょうね。社会全体で女性を性的搾取していじめて楽しむヘルジャパンで生まれ育ち、実際に色々な外国で日本人以外の男性と接してきた女の私からすれば鼻で笑う言葉ですよ。
自分の意見が無くて優柔不断なせいで自己主張できないだけのことを「優しい」とは言いません。

余談ですが、以前ジッドの「ソヴィエト旅行記」を読んだ際、「まるで日本のようだ」と感じました。
その当時のソ連の人々は外国の情報から遮断されていただけでなく「ソ連は素晴らしい国だ」と思いこまされていました。そのため、作中で若者の一人が「ソ連はもはや他国から学ぶことなど何もない」と自信をもって言っているシーンが印象的です。彼らは他国への無知故に自国への礼賛姿勢を強めることになり、排外主義に突き進んでいたんです。

今の日本は旧ソ連や中国のように情報規制が入っているわけではないのに、多くの人は外国にも行かず英語の記事も読まずひたすら日本語メディア発の「日本スゴイ」に酔っているため、自発的にマイルドな鎖国をしているような印象を受けます。私の考えすぎかもしれませんが。

特定の国に抱く独善的なイメージ

ある国に対して負のイメージを作り上げる時の可能性について書いてきましたが、次は「良好すぎるイメージ」を作り上げることになる原因についても考えてみます。

フィンランドとインドに憧れていた時期

私は以前はフィンランドに憧れていた時期があり、フィンランド語を勉強しては「将来はフィンランドに住みたい」とまで思っていました。ただ、実際にフィンランドに行ってみると「自分には北欧社会での暮らしが合っていない」と漠然と感じてしまったことがあります。

また、同様にインド映画にはまった時はヒンディー語を勉強したりインドで働くために現地就職先も探したりインド人男性と会いまくったりなどしていたのですが(実際、元彼の一人はインド人)、映画やドラマではなく本やニュース記事、ドキュメンタリーを通してインドの抱える闇の深さを知れば知るほど、実際のインド社会で苦しみや葛藤を感じずに済む外国人だけが持つことを許される単なる好奇心を掲げて「インドが好き」とは言えなくなっていきました。

現地をより理解するために思ったこと

一般的に「外国人向け」の情報は不都合なことが排除されて綺麗に整えられていることが多いと思います。
今回の旧ソ連圏諸国滞在だけでなく、今までのフィンランドやインドへの印象も通して思ったのは、現地に行ったこともないのに上辺だけの情報を根拠に特定の国に憧れを抱く場合は本当に「その国のことを理解している」とは言えないのではないか、ということです。

良い点しか知らない時にそれに対して好印象を抱くのは当たり前のことです。ただ、良い点もあるならどこかに悪い点もある場合が多いです。
その悪い点を知っても尚その国のことが「好き」と言えるのであれば、自分にとってその国は「本当に好きな国」なんだろうなと思います。

とは言え、単なる観光客や留学生としてある国に滞在する程度ではその国の真の姿を知ることは難しいとも感じます。外国人が自分の母国語で得る情報と、現地の言語を通して知る文化の深さや現地の人々の感情は、量も質も雲泥の差だと思うからです。
この考えはブルガリアに渡航する前から変わっていません。

むしろ、英語が通じないブルガリアとアルメニア(セルビアでは結構英語が通じた)で過ごしてきたことにより、外国人がその国に馴染むためには現地言語の習得が何よりも大事だと強く感じるようになりました。
例えば、少しでも日本語を話せる訪日外国人観光客に対して親しみを覚えるように、私がブルガリアやアルメニアでその国の言語を話した時、現地の人々は見るからにアジア人の私に対しても心理的障壁の高さを一気に低くしてくれるんです。それで馴染みになった店もいくつかあります。

別に「やたらとハイテンションでフレンドリーな外国人」になる必要はなく、現地の母国語で当たり前の言葉を当たり前に交わすだけでいいのだと感じます。
短期滞在の旅行者である私は彼らの日常生活にお邪魔してるに過ぎないので。

終わりに

退職した後は特に何のこだわりもなく行き当たりばったりでブルガリア→セルビア→アルメニアと滞在してきました。
最終的に留学のために年末にジョージアからカナダに渡航する予定ですが、普通の旅行ではまず訪れようとも思わなかったであろう場所をあちこち転々としている今年の1年間は私のさらなる人格形成にとっても有意義なものになりそうです。
また、私は今後の一生を日本以外の国で生きると決めているので、その準備期間にもなっていると思います。

最後に、余談ですが自分の貯金のおかげで今ずっと海外で過ごせているため、仕事していた時に毎月貯金しててよかったとしみじみ思います。最終的に心身バランスの崩壊に繋がった仕事でしたが、残業が多かった月の翌月はその分貯金額も増やせていました。

なので残業代、君らめっちゃ役に立ってるで。ありがとな。

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