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放擲

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紙の照明

昨日までの土日では久しぶりに仕事を一切忘れて心身を休めることができました。
最近はずっと仕事に追われるあまり趣味を楽しむことすら忘れていましたが、時間に追われることなく好き勝手に過ごせたことで本来の精神的余裕を徐々に取り戻せてきました。自然と気分も明るくなり、前向きになれました。

それと同時に自分の中で仕事の優先順位がとてつもなく低くなりました。極端な言い方をすると、どうでもよくなりました。

自分を追い詰めていた仕事から数日間離れたことによって、「あんなに私の生活に支障を来していた仕事なんか私の人生に無くてもいいのでは」と思うようになったためかもしれません。もはや仕事に意義を見出せません。

今日は手術前に午前中だけ仕事をしたのですが、やっと修復できた精神を再び摩耗させることが嫌でなりませんでした。何でもそうですが、あるものを壊すのは容易くてもそれを修復するのは破壊に費やした時の何倍も時間がかかるからです。

残業続きの時はある種の使命感や強迫観念に駆られて仕事の意義なんて考える余裕すら無かったので何も考えずに仕事を全うできていた節があるのかもしれません。今考えると少し恐ろしいですね。思考力を奪われていることにも気付かず無心で働き続けていたなんて。

精神的余裕が無いのに仕事に献身する状態を続けていると人間味を失う理由が少し分かった気がします。絶え間ない仕事のストレスの前では、人間として生きるために必要な「感情」や「思考力」といった柔らかいものは不要なものとして自分の中から消え去っていってしまうのですね。

現に、仕事で摩耗していた頃の私は自分の大好きな趣味を行う気力も失せ、Whatsappを見返すと彼とのメッセージのやり取りでも最低限の短文しか返せなくなっていました。

そのような状態を考えると、「仕事」というものに自分の私生活や大切な人との時間を犠牲にしてまで頑張る価値があるとは思えません。
私は一人暮らしなので生きるためには生活費を稼ぐ必要があり、仕事はその手段に過ぎないのです。それなのに私は「生きるために働く」というよりはむしろ「働くために生きて」いました。仕事のために起きて仕事だけして一日を終え、翌日の仕事のために寝ていました。虚しかったです。

現在精神は元に戻りつつあるので復職は可能でしょうが、もうあの状態に戻りたくありません。今の私の中で仕事は「不要なもの」カテゴリに入りました。私の感情や趣味や私生活を壊すような存在なんて私の毎日に要りません。
退職日を待ち望むばかりです。

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